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日常の事。内心の事。
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卒論発表が終わったら更新するとか言っておきながら、全然更新していませんでしたね…
すみませんm(_ _)m

取り敢えず近況を…

2月下旬>>
卒論発表が終わった途端に体調不良に。
しかし卒業遠足(TDL・男女11人完全団体行動w)には行くww(゚∀゚)

~3月中旬>>
バリウム飲んだりレントゲン撮ったりする。
逆流性に属するであろう胃炎と判明。
最初は胃炎と食道炎の合併かもと言われていましたが、どうやら胃炎だけだった様です。
しかし胃の上部辺りにガスが堪っているらしく、月賦が良く出ます。
そして良く吐きます(逆流性…)

同時に風邪も襲来w高熱ktkr

でも卒業旅行(熱海・女3人旅)には行くww(゚∀゚)
体調不良で早期帰宅をさせて頂く失態付きorz
ご心配お掛けしました…

バイトを卒業式以降の22日から無しにして貰う。
これで19日を最後にバイト終了

3月21日>>
学位授与式(卒業式)
着付けが緩かった所為で、段々と袴が落ちてくるという鬱な展開に!
しかし袴で一日中居るとは思わなんだww

卒業式に続いて謝恩会を行い、その足で教授と共にカラオケに。
そしてまたまたその足でデザイン科有志の飲み会に出席しました☆
翌日の為に、自分は21時以降は飲食禁止だったので、飲み会に到着した時点で絶食…orz
皆がラーメン食べているのを横目に見ておりましたww

そんなこんなでも、皆と写真も撮って貰って、とても楽しい一日を過ごしました♪
アリガトー(*・ω・)ノシ

3月22日>>
8:30に病院へ行き、手術を致しました。
この詳細については追記部に書きたいと思います。
別に心の傷を露呈して凄いと思わせたい訳ではありませんし、同情して欲しい等という浅ましい考えは持ち合わせておりません。
ただ、自分の為に、自分がいつか過去を読み返す時の為にとっておきたかったのです。

※※※※※

この詳細はきっちり書くつもりです。
とても残酷な内容になるやも知れないので、人によっては激しい嫌悪感を覚える事があるでしょう。
それを十分御理解頂いた上での閲覧を願います。

※※※※※


3月23日からは特にする事も無く、大学の友人と飲み会をしたり、部屋の片付けをしたり(未完)、買い物をしたりしました。
そして今日は28日です。

かなり怠惰に過ごさせて頂きました。
沢山のメールを返していない気がします…orz

さて、22日の手術の話です。
先ずは科を言っておかなければなりませんね…
此処で分かる方は察して下されば幸いです。

その日は産婦人科の病院に行って来ました。

朝の8:30という約束でしたので、病院には15分に到着しました。
料金は前払いなので、先にお支払いを済ませ必要書類を提出後、血圧を測ります。
少し先生と手術にあたっての事項を確認してから診察を行います。
僕の中に居る者を確認しました。相変わらずそれが普通の様に生きていました

診察後は待合のベッドに案内され、そこで手術への案内を待ちます。
ここでは随分待っていた気がします。
前日の疲れや寝不足もあり、早いうちに眠りについてしまいました

手術前にお手洗いを済ませ、2階の手術台へ。
替えの下着等を看護師さんに渡し、下着を外して手術台に寝ます。
先ず血圧・心電図の計測装置を付けられ、点滴をうちます。
以前、扁桃腺の手術を行った時の点滴は、腕では出来ずに手首になりましたので
「別の手術で点滴が手首だったので、(血管が)ちゃんと見付かった所に打って下さい」と僕。
結局上手く見付からず、またしても手首になりました。
「手首には神経が多いから成るべくは避けたかったんだけどね」と看護師さん。
点滴の調節後、麻酔が効き易くなる様に筋肉注射をします。
これは本当に痛いです。
採血や点滴時の注射は寧ろ見ていたい人なのに…僕…

手術の担当医が準備出来るまで、この状態で待機。
ボーっとしながらも、先程まで気持ち良く寝てしまったので、完全には眠りにつけず、指を動かしたり、看護師さんの手術準備を目で追ったりしていました。
この時残念だったのは、自分の心電図が見られなかった事でしょうか。
モニタがONであったかは分かりませんが…

担当医が到着と同時にスカートと足を上げ、酸素マスクを装着され、点滴より麻酔が投入されます。
全身麻酔です。
手術までの流れが扁桃腺手術と同じだったので、特に困惑せず麻酔を受け入れました。
麻酔が投入されると、左腕の手首にに少しの痛みか痺れと違和感。
それが二の腕あたりまで到達したと思った時には意識を失いました

次に目が覚めた時は未だ手術台の上で、看護師さんが何人もで僕を移動台に移す所でした。
覚醒に気付いた看護師さんが「自分で移れるか」と聞いてきたので、看護師さん達の補助の元、自分で台を移りました。
僕を乗せた台は他の…もっと大規模な(?)手術をするのであろう部屋に移動し、そこで本格的に意識が戻るまで休憩です。
僕はそこでも寝てしまいました。
この日は本当に寝てばかりいました。
そういえば下着が看護師さんに渡した方に変わって、スカートもきちんと下ろされていました。

「16時になったので、そろそろ診察しますよ」
点滴を外す看護婦さんの声で目が覚めました。
少しフラフラ…とはしましたが意識は結構しっかりしていたので、車椅子には乗らずに1階へ。
診察室前でまた少し待機…
何度かの診察で見た画面には、さっきまで居た個体がぽっかりと黒い『空白』に変わっていました。
あぁ…殺したんだ。
ボーっとした儘の僕はそんな事しか頭に浮かびませんでした。

診察後、先生に手術直後の確認と諸注意と薬、最後に「喉が渇いただろ」と林檎ジュースと手術回避法を頂きました。
16:30、林檎ジュースを飲みながら病院を後に。
「これからお昼ご飯食べて、それから薬を飲んでね」と言われたので、突然食べたくなったサンドイッチと少しのお菓子とケーキを買って17:00頃帰宅。
ケーキは供養のつもりも有ったりしました。
ちょっとした偽善です

サンドイッチを食べ終えてケーキを食べていると、今回の事を知りながら協力してくれた母が帰宅。
手術の流れと諸注意を母にも伝え、薬を少し前から飲んでいる胃薬と同じ袋に。
産婦人科の紙袋は破いて、蓋付きのゴミ箱に捨てました。
2人で決めた事。
母以外の家族は知らない儘です。


手術後、妊娠中は食べられなかった物(脂っこい物・加工品じゃない肉類等)が食べられる様になりました。
吐瀉もなくなりました。
やっぱり悪阻だったのだなと後から思っています。

これで僕と3ヶ月を共にした、殺さなきゃ此方が殺されるとさえ思った相棒が居なくなりました。
改めて世の中の母は凄い苦労をしていると感じました。
あんな苦しい思いを、吐き気や辛さを僕の3倍以上の期間耐えているのですから。


最後に
嫌な話だと知りながら、こんな汚い話を最後まで読んで下さった方々。
ありがとうございました
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